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東京高等裁判所 平成2年(ネ)4663号 判決

控訴人

草間朝子

右訴訟代理人弁護士

黒田純吉

大沼和子

錦織淳

深山雅也

中田康一

被控訴人

新日本トラベル株式会社

右代表者代表取締役

片山寛

右訴訟代理人弁護士

平沼高明

堀井敬一

木ノ元直樹

加藤愼

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「1原判決を取り消す。2被控訴人は、控訴人に対し、三〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者の主張は、以下に付加するほか、原判決事実摘示と同じであるから、これを引用する。

(控訴人)

1  アテネ観光が実施されずに終わったのは、アテネ空港におけるストライキのため予定の航空便がアテネに運行しないことになったという、被控訴人新日本トラベルの管理外の突発事態に起因するものではなく、不可抗力でもない。

2  本件アテネ空港における争議行為は、空港のストではなくタイ国際航空の委託によりアテネ空港におけるタイ国際航空のハンドリング(荷物の積み降ろし等の空港業務)を代行担当していたオリンピック航空のストによるタイ航空の欠航に遭遇したにすぎず、被控訴人が本件主催旅行契約に基づく本件ツアーの主催旅行業者としての義務を果たしさえすればアテネ行きはできたはずである。具体的にみると、被控訴人が、本件ツアー中で発生したタイ国際航空のアテネ行き九三〇便(アテネ経由パリ行き)がアテネを経由せずパリへ運航(経路変更)となった事態が、アテネ空港のストのためによる空港閉鎖にあったのではなく、アテネ空港におけるハンドリング(荷物の積み降ろし業務)を自社で行わない航空会社から右業務の委託を受けて実施しているオリンピック航空の職員によるストに過ぎないことを正確に認識し、こうした緊急時に適切かつ迅速に対応して手配さえすれば、他の右業務を自社で行っているため右スト中もアテネへ運航している航空機を探しアテネに入ることは可能であったはずである。

例えば、まず、①控訴人外本件ツアー客全員はスイス航空の航空便にエンドース(搭乗機乗換え)して、左記の経由でアテネに行けたはずであり、かつ、本件ツアーのタイムスケジュール上十分余裕をもってアテネに行けたはずであり、右スイス航空のアテネ到着時間からすれば二九日午後のアテネ観光と翌三〇日終日のエーゲ海クルーズも楽しめたはずである。

スイス航空一九九便(バンコクからチュリッヒまで)

バンコク発 三月二八日(月)二二時二五分

チュリッヒ到着 三月二九日(火)七時一分

スイス航空三〇二便(チュリッヒからアテネまで)

チュリッヒ発 三月二九日(火)一二時一〇分

アテネ到着 三月二九日(火)一五時五〇分

次に、②タイ国際航空九三〇便が経由地をスキップしてダーバン経由(給油のためのみ寄港)でパリへ直行できたのであり、同便では、当初予定されていた本件ツアー客全員二〇名分の座席は確保できていたはずであるから、同便でパリへ直行し、パリからアテネへ入れる他社の航空機に乗りかえる手配をするなり、場合によっては、旅程をパリ振り出しにするよう変更するなりして、アテネ行をカットせずに実施することは可能であったはずである。

なお、通常三月のヨーロッパ行の航空機の座席状況は、オフシーズン中であるから乗客座席は六〇パーセント程度であるのが通常であるから、ストの状況を正確に察知し、いち早くチケットの手配をすれば、仮に緊急時には早い者勝ちになるから、できるだけ早期に乗り変える航空機のチケットの手配をしておけば座席は確保できたはずである。

3  ところが、被控訴人は、本件ツアーの旅行の主催者たる旅行業者としての善管義務を故意または過失により怠った。これは、適切な情報の収集・認識とその説明をなさず、可能な搭乗機変更によるスイス航空の航空機への乗り継ぎによりアテネに到着できたはずであるのに、添乗員浅井及びこれに指示した被控訴人(柏原部長)による正確な情報の収集がされなかったことによりストに関する事実認識を怠ったためか、浅井がバンコック空港から離れ同空港に戻って来るのが遅く、適切な措置をとる余裕がなかったためか、いずれにせよ被控訴人の右義務を怠ったために、本件ツアー客にアテネ市内観光並びにエーゲ海クルーズ行をさせることができなかったものである。

4  したがって、被控訴人は控訴人に対して、本件旅行契約上の旅行主催者としてなすべき債務の不履行があったものであり、右債務不履行によって控訴人が被った損害の賠償義務があるというべきである。

(被控訴人)

1  契約上の免責約款について

(一)本件旅行契約の内容

(1) 控訴人との間の本件旅行契約において、特段の定めのない事項については、旅行業約款の定めるところによるとされており、両当事者間において旅行業約款(〈書証番号略〉。被控訴人が旅行者との間で締結する主催旅行に関する契約であり、以下これを「本件約款」という。)が契約の内容となっていたことは明らかである。

(2) 同約款第一一条には、本件旅行のような被控訴人が旅行者と締結するその主催する旅行契約について、旅行業者は、運送機関等における争議行為等旅行業者の管理できない事由が発生した場合、旅行の安全かつ円滑な実施を図るためやむを得ないときには、旅行者にあらかじめ理由を説明して、旅行日程、旅行サービスの内容その他の主催旅行の内容を変更することができる旨が、また、同約款第二一条二項七号には、運送機関の不通等旅行業者の管理外の事由により旅行者が被った損害につき旅行業者は原則として責任を負わず、例外的に旅行業者の故意、過失が証明された場合には責任を負うと規定されている。

(二) 本件旅行中のバンコック空港における事実関係

(1) 運送機関の争議行為

控訴人を含む本件ツアー客(合計二〇名)は、昭和五八年三月二八日に、タイ航空機で成田空港を出発し、現地時間の同日一七時ころ、タイ国のバンコク国際空港に到着し、そこで当初予定されていた乗継便である二三時三〇分発のタイ国際航空TG九三〇便(アテネ経由パリ行きのタイ国際航空機。以下「TG九三〇便」という。)を待った。ところが、TG九三〇便の出発時刻である二三時三〇分の約一五分前になって、被控訴人の本件ツアーの添乗員である浅井は、バンコク空港のタイ国際航空の係員から、アテネ空港のストライキによりTG九三〇便がアテネに運航しないことになった事実を知らされた。オリンピック航空からの正式のスト通告をバンコク空港が受けたものであり、これと同時に、タイ国際航空が現地時間の昭和五八年三月二八日二三時一五分(一六一五GMT=グリニッジ標準時間で一六時一五分)に英文のテレックスで、初めて、スカンジナビヤ航空・タイ国際航空大阪事務所にその旨を打電してきた。

(2) 争議行為に関する情報

なお、タイ国際航空係員が浅井に告げたアテネ空港のストライキというのは正確ではなく、アテネ空港におけるタイ国際航空をはじめとする多数の航空会社から委託されて各社のハンドリング(アテネ空港における荷物の積み降ろし等の空港業務。以下同様。)を代行しているオリンピック航空職員のストライキであったのが事実であったが、当日(三月二八日)の時点では、そのような情報はバンコク空港には伝わっていなかった。実際にも、浅井が、アテネ空港のストライキとの情報を入手して直ちにタイ国際航空のカウンターへ行き、ストライキの有無及び内容の確認をしたにもかかわらず、アテネ空港へ航空機を乗り入れている直接の利害関係会社であるタイ国際航空側からもオリンピック航空の空港ハンドリング業務職員のストライキである旨の正確な情報は入手できなかった。

したがって、右事実関係のもとでは、本件ストライキの情報源及び情報ルートは、本来的に被控訴人の管理することができない事項であり、被控訴人のみの力ではこの情報を正確に把握することはできなかったものである。

(3) エンドース(搭乗飛行機の変更)の不可能

控訴人の参加した、被控訴人主催の本件ツアーは、団体旅行であり、控訴人の航空チケットは、団体航空チケットであった。この団体航空チケットは、チケットの種類としては、ノーマルチケットに属し、ディスカウントチケットとは異なるものである。

エンドース(搭乗飛行機の変更)は、原則的に旅客の自由意思によっては認められないが、運送機関等のストライキ等の特別事情が発生した場合には、新たに乗る代替飛行機の確保を条件として、最初に発券した航空会社の判断(承諾)によりエンドースが認められる場合はある。

実際に、控訴人がエンドースできるためには、まず、前記のように、①チケット発券航空会社(タイ国際航空)がエンドースを認めると判断を下すことが必須の要件であり、さらに、②乗換え航空機が確保できること、③団体旅行の人数分の座席が確保できること、④その座席確保が、当初予定されていた最終目的地までのものであること等の諸条件がすべて満たされなければならないのである。

したがって、控訴人が本件ツアーの際所持していたチケットは、旅行主催業者たる被控訴人の独断によってエンドースすることは不可能なものであり、右のエンドースに必要な諸条件は、すべて、被控訴人の管理できない事情である。

(三) 以上の事実によれば、本件ツアーにおいて、控訴人が当初予定していたアテネにおける観光をすることができなかったことにより損害を被っていたとしても、それは、前記旅行契約の内容となっている約款第二一条に定める被控訴人の管理外の事情に基づくものに当たるから、被控訴人が同契約に基づく責任を負担することはない。

2  不可抗力

控訴人と被控訴人との間で締結された本件旅行契約により、被控訴人が控訴人に負担すべきであった予定された日程に従って旅行を実施する債務は、前記1・(二)の事実と以下に付加する事情のもとで、不可抗力によりその履行が不能になったものであるから、控訴人は、本件ツアーの旅客の一人である控訴人に対して損害賠償義務を負わないものである。

(1) 右債務の履行を不可能にした最も基本的原因は、運送機関の争議行為の発生にある。右争議行為発生の事実は、本件ツアーが予定どおり成田を飛び立ち、バンコク空港に到着(現地時間で、三月二八日一七時ころ)した後の同日二三時一五分に至って、被控訴人が初めて知り得たものであって、被控訴人にとって、それまでの時点では予見不可能であった。

(2) また、本件ツアーにおける控訴人を含む旅客らの所持していた航空券は、団体チケットであり、これをエンドース可能にする条件は前記1・(二)掲記の諸条件を充たすことが必要であった。

(3) 添乗員の浅井は、バンコク空港で、アテネ空港のストライキという情報を聞き、直ちに、バンコク空港のタイ国際航空のカウンターへ行き、ストライキの正確な情報収集と本件ツアーの二〇名の団体旅客全員がアテネに行ける方法はないものか、特にアテネに入ることができる航空便はないかどうか、コンピューター作動などによる調査を依頼したが、タイ国際航空からは、アテネに入れる航空便はないとの回答であった。このことは、本件ツアーの主催者である旅行業者被控訴人の申し入れに対して、航空券発券会社であるタイ国際航空が、控訴人ら旅客に対するエンドースの手続が可能であるかどうかの判断の条件となる乗換え航空機の確保についての調査をしたものの、目的地であるアテネまでの搭乗が可能となるような航空機(直通便に限らず、他の空港経由による便も含む。)の確保ができなかったものである。また、仮に、アテネ空港乗り入れ可能な航空便があったとしても、ストライキ等の発生の際にエンドースが認められる場合であっても、座席の確保ができるのは、通常は二、三名程度であって、乗換え航空機に本件団体旅客二〇名全員分の座席を確保することは極めて困難である。

(4) 結局、エンドース可能か否かの判断が委ねられている航空券は発券会社たるタイ国際航空が調査の結果、エンドースできないとの最終判断を下したのであるから、本件ツアーで予定していた観光の一部が変更やむなしとして予定どおりのコースで実施できなかったのは不可抗力に起因するものである。

3  被控訴人による債務の履行

(一) 被控訴人の社員である本件ツアーの添乗員浅井は、三月二八日二三時一五分ころ、バンコク空港において、アテネ空港のストライキ発生の事実及びアテネ空港へ運航予定だったTG九三〇便はアテネへ飛ばない旨の情報を入手したので、直ちにタイ国際航空のカウンターへ行き、タイ国際航空職員に、ストライキの有無、ストライキの正確な具体的内容の確認及び本件ツアーの旅客全員がアテネへ行くための他の航空機の有無の調査確認、その座席確保の調査と確認を依頼した。これは、その際、当時の状況のもとで被控訴人として管理しうる限りの最善の方法であった。けだし、①ストライキの情報に対して直接利害関係を有し、その具体的内容、正確性、出所等について情報網を駆使して最も新鮮な情報を入手しうるのは、ストライキ中と報じられた空港に自社の航空便を乗り入れている航空会社なのであり、本件ではタイ国際航空のカウンターがそのような新鮮な情報を集中するところであること、②アテネ空港がストであるとの情報を前提として、アテネ空港に入れるかどうかについても、旅券の発行会社であるタイ国際航空が、予定変更による旅客全員のエンドースのための乗換え搭乗航空機の確保、旅客全員座席の確保等を検討して最終的にエンドースできるかどうかを判断するものであるから、これら手続のすべてをタイ国際航空を窓口にする必要があり、これが最も迅速確実にアテネ行きの方法を得る手段であったからである。

(二) 浅井は、三月二八日、タイ空港でストライキ情報を聞いてから最終便の航空機が離陸するまでの間、右のとおり、タイ国際航空を通じて、二〇名の本件ツアーの旅客全員のアテネ行きの方法確保に努力した。しかし、結局アテネ行きの方法はなかった。

そこで、浅井は、日本国内の被控訴人会社部長柏原豊に電話で指示を仰いだ。その際、柏原が浅井から聞いた内容は、「①バンコク空港からアテネ行きの航空機がアテネ空港のストのため飛ばないということ、②ストライキの情報がどこまで確実か分からないこと、③ストライキがいつ終わるかも分からないこと、④深夜のため、ヨーロッパへ行く航空機がないのでタイ国際航空が用意したバンコク市内のホテルにとりあえず宿泊しようと思うがどうしたらよいか。」ということであった。

これに対して柏原の返答は、「日本国内では深夜で情報がつかめないので、翌日九日時に自分の方から航空会社なり現地の旅行社を通じて、いつストライキが終わるかを調べる。バンコク空港に待機していても意味がないから、タイ国際航空の用意したホテルへ行って宿泊せよ。」と指示した。この指示は、日本国内におけるタイ国際航空の支店の営業時間終了後の深夜であることから、日本国内にてバンコク空港での情報以上に豊富かつ正確な情報を入手することが不可能であること、また、本件ツアーの(団体旅行)の航空券発行会社であるタイ国際航空から二八日にはバンコク市内のホテルに宿泊して様子をみるように指示を受けている状況のもとでは、旅行業者としての方針及び添乗員に対する指示としては、なんら遺漏はないものである。

(三) 以上、浅井がバンコク空港でとった行動及び柏原の三月二八日(現地時間)に浅井にした指示は、いずれも本件具体的状況のもとでは、控訴人との間の本件旅行契約上の主催者としての債務の履行といえるものである。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一当裁判所も、控訴人の本訴請求は理由がないものとして、これを棄却すべきものと判断するが、その理由は、最初の旅行目的地であるアテネにおける旅行が実施できなかった点については、以下に検討するとおりであり、その他の旅行目的地の旅行の実施については、原判決理由第一の三に説示するとおりであるから、これを引用する。

1  本件旅行契約の内容

(一)  本件海外旅行契約は、旅行業者である被控訴人が主催者となって旅行参加者である控訴人との間で締結されたいわゆる主催者旅行(旅行業者が、あらかじめ、旅行の目的地及び日程、旅行者が提供を受けることができる運送または宿泊のサービスの内容並びに旅行者に支払うべき旅行代金の額を定めた旅行に関する計画を作成し、これを参加する旅行者を広告その他の方法で募集して実施する旅行)に関する契約であって、昭和五八年三月、被控訴人の募集した本件海外旅行に控訴人が応募しこれに参加することとして、両者間に締結されたものである。

右契約の内容は、大略左記のようなものであった。

(1) 旅行代金 三九万八〇〇〇円

(2) 旅行期間 昭和五八年三月二八日から同年四月八日まで

(3) 旅行日程と内容 (その詳細は、原判決別紙記載のとおりであり、その旅程の概要は、①三月二八日成田・大阪発―(バンコク経由乗継ぎ)―三月二九日、三〇日アテネ(二泊、アテネ観光及びエーゲ海終日クルーズ)―三月三一日ローマ・ナポリ(一泊)―四月一日ローマ(一泊)―四月二、三、四日マドリッド(三泊)―四月五、六日パリ(二泊)―成田と経由し、旅行目的地で観光等をするものであった。

(4) 契約に特段の定めのない事項については、旅行業者である被控訴人が旅行者との間で締結する被控訴人による主催旅行に関する旅行約款(以下、「本件約款」という。)の定めるところによる。

(二)  控訴人を含む本件ツアー客は、昭和五八年三月二八日成田国際空港からタイ国際航空機で出発し現地時間の同日一七時ころ、バンコク空港に到着し、同空港で乗継便である同日午後二三時三〇分発TG九三〇便(アテネ経由パリ行)の出発を待っている間に、アテネ空港におけるストライキ(同空港におけるハンドリング業務の委託を受けて行っているオリンピック航空の職員のストライキ)のためTG九三〇便がアテネに運航しないことが判明した。

(三)  控訴人を含む本件ツアー客は予定された旅程のうち、アテネには入れず、アテネ観光やエーゲ海クルーズの旅がなされずに終わった。

以上の事実は、当事者間に争いがない。

2  〈書証番号略〉、前掲控訴人本人の供述並びに各証人の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、これに反する証人浅井千鈴、同柏原豊の各証言部分及び控訴人本人の供述部分は、前掲各証拠に照らし信用できない。

(一)  (東京国際空港発バンコク国際空港到着後待機時間中の状況)

(1) 控訴人を含む東京出発の本件ツアー客一一名は、昭和五八年三月二八日に、タイ航空機で東京国際空港を出発し、途中で大阪国際空港において大阪出発の本件ツアー客八名と添乗員が搭乗して東京出発の旅客と合流し総勢二〇名の団体旅行として添乗員(浅井千鈴)付きで実施された。

(2) 同航空機は、現地時間の同日一七時ころ、バンコク空港に到着した。浅井及び本件ツアー客全員は、同空港内二階の待合室で、当初予定されていた乗継便である二三時三〇分発のタイ国際航空TG九三〇便(アテネ経由パリ行の出発時間まで約六時間半もあり、この間ツアー客は、タイ国内に入国せず同空港内のロビーで待機することになった。右待機時間中の空港内での旅客らの行動は、買物食事等自由であったが、狭い構内であったから、三々五々の状態でロビー内で待機していた。解散時に浅井は最終的な集合時間をTG九三〇便の出発時一時間前の二二時三〇分、集合場所を同空港二階ロビー内待合室と指示した。浅井は到着後、そう時間が経過しないうちに航空券をチェックインしてTG九三〇便の搭乗券に換え、搭乗機の席の割り当て等をしておいた。

(3) ところで、待ち時間中、添乗員の浅井は、旅客阿部純一、純子夫婦に現地の友人に面会するといっていたこともあって、解散直後若干の時間だけは旅客に空港内売店にショッピングの案内をしたが、その後同空港内から姿が見えなくなった。長い待ち時間のことであったから、旅客のうちには食事をとりたい者や、体調の不調を訴える者もでてきたため、浅井を探した者もあったが、空港のロビー内に同人の姿を見付けることができなかった。もとより浅井自らは、解散後集合時間までの間、一回も旅客の前に状態観察や要望を尋ねに姿を現すことはなかった。

(4) その後浅井が集合場所に集まっていた本件ツアーの旅客の前に姿を見せたのは、予定された集合時間である二二時三〇分(TG九三〇便の出発予定時刻の一時間位前)の五分くらい前であり、同人は搭乗券(ポーディングパス)を束ねて手に持ち、それを各旅客に配り搭乗手続に案内しようとしながら急いで現れた。

(5) ところが、その直後の二二時三〇分ころ、出発航空機に関してなんらかの案内をする構内アナウンスが流れた。これを聞いた浅井は、本件ツアー客に待つようにといい残して、急いで空港内のタイ国際航空の事務所に事情を聞きに行った。同所で浅井は、タイ国際航空の職員に九三〇便でアテネへは行けないのか、ほかのアテネ行の航空便に乗れないかなどと尋ねた。

(6) 同日午後二三時ころ(日本時間午前一時)、浅井は日本の被控訴人の柏原部長宅に電話連絡し、指示を仰いだ。柏原は、「アテネへ行く航空機がないなら、バンコクで泊まるように。あとは、バンコクのJTA(タイの旅行代理店)に連絡をとって詳しい情報を取ってもらい、アテネに行く航空機を探してもらえ、明日連絡する。」と返事した。

(7) 浅井は、三、四〇分位してから旅客のもとに戻り、旅客に対して、「タイ国際航空の係員に事情を聞いたところ、アテネ空港ストライキによりTG九三〇便がアテネに運航しないことになった。ストライキはいつ終わるか分からない。明日タイ国際航空が夜同時刻ころに臨時便を出すかもしれない。とりあえず今夜はタイ国へ入国手続をし、市内のホテルに宿泊する。」旨告げ、入管手続のゲートへと案内しようとしてその方向へ移動するように旅客を誘導し始めた。控訴人を含む本件ツアーの旅客らは、はっきり事情が飲み込めないまま、仕方なく浅井に誘導されて入国カウンターの方向へ移動しはじめた。

(8) ところが、それ以前、前記空港内アナウンスがあった直後から、大勢の人達が入国カウンターから五〇メートルほど離れた反対方向のスイス航空搭乗カウンターの方へ移動しだした。同カウンターにはみるみる人の列ができ、集まった人達が航空チケットの交換をする状況がみられた。

控訴人は、どうも浅井の説明では腑に落ちなかったので、本件ツアー客のうちの石田夫婦共々、本件ツアー旅客の列から離れ、折から大勢の人が集まってきていたスイス航空のカウンターへ行き、アテネへ行けるかを尋ねたところ、明確に肯定の返答があり、集まっていた人達からもアテネへ行く、アテネ行なら一緒にこのカウンターへ並べといわれた。一方、阿部夫婦も、空港内ロビーでの待ち時間中、同じ場所に長時間一緒に居合わせ、互いに話し掛けて親しくなったギリシャ人の大家族が並んでいたのを見付け、同人らに尋ねたところ、スイス航空でアテネに行ける、あなた達もアテネへ行くなら同じ列に並べと勧められた。

そこで、控訴人及び阿部その他の旅客は、浅井に対して、スイス航空でアテネに行けるのではないかと進言した。ところが、浅井は、スイス航空のカウンターでも確かめたがアテネ行便はなかった、本件ツアーの行先とスイス航空とはルートが違う、本件ツアーは団体旅行であるから本件チケットをスイス航空のチケットに取り替えられないと、他に方法はないことを強調した説明をして、本件ツアー客にタイ入国手続をするように説得する態度であった。

(9) なお、本件ツアー客が当夜乗継を予定していたTG九三〇便は、アテネ経由をやめ、九三一便としてダーラン経由(ただし、給油のためのみ寄港)でパリへ出発した。

(二)  (タイ市一日滞在、ギリシャ省略のローマ四泊に旅程変更)

(1) 同夜はタイ国際航空の手配したタイ市内のホテル(ラマータワーホテル)に到着後、浅井は、ストはいつ解決するか分からないが、スト解決次第アテネに向かう。明日夜臨時便が飛ぶかも知れないと説明し、今晩本件ツアー客全員が同ホテルで宿泊し、翌二九日朝はゆっくりして、午前一一時半にホテルのロビーに集合するようにと指示した。本件ツアー客は同ホテル滞在中、タイ国際航空から配られた食事券で各々食事をとった。

(2) 浅井は、同日朝は外出せず食事もとらず、ホテル内にいて、室の外へ出てどこかへ電話したり、室内で日本からの国際電話を受けたりしていたが、午前一〇時過ぎころ、ホテルの室で日本から被控訴人(柏原部長)と電話がつながり、柏原と話ができた。この電話で浅井は、柏原に対して、今晩のローマ行きでローマへ直行することを旅客に提案し、ローマの宿泊日を増やすことでよいかと確認し、本日の午後はタイ国際航空が市内観光を申し出ているが受けてよいか、といった事項につき指示を仰ぎ、柏原から了承の返事を受けた。このローマ行は、同朝JTAのタイ事務所で勧められたか浅井自身の発案かは定かでないが、この点はさておき、いずれであったにせよ、二九日昼前の時点で被控訴人によりタイ国際航空(代理店)にローマ行TG九四〇便のバンコクからローマまでの航空券が再予約された。その際、タイからアテネまでの航空運賃とバンコクからローマまでの航空運賃差額については、本件ツアー客に金員追加負担の話はなかった。ところが、このチケットでいったんヨーロッパの一都市であるローマへ入ってしまうと、ローマからアテネに入る航空運賃は別途支払われるべきものとなっており、柏原も浅井もこの追加運賃負担問題をいつか時をみて本件ツアー客に話さなければならないことは分かっていたが、この時点で浅井は説明をせず、柏原も直ちに説明せよとは指示しなかった。

(3) 本件ツアー客全員は、前夜の浅井の指示どおり、二九日午前一一時半にホテルのロビーに集合した。浅井は、ストライキは一日で済むか、一週間ですむか分からないので、このまま待っていても仕方がないから、ヨーロッパに入ってしまった方がよい、ローマ行の航空券を押えているなど、事態の説明とローマ行を勧める趣旨の説明をした。これに対し、ツアー客のうちからは、前日浅井から聞いたアテネ行のタイ国際航空の臨時便が出た場合いかんにつき質問が出されたところ、浅井は、同じタイ国際航空だから先にローマ行の航空券をとっておいても、本日夜までにタイ国際航空のアテネ行臨時便が出ることになれば、航空券を取り替えることは可能である、ローマに入っておいた方がアテネに入る手だてもやりやすいと説明した。さらに、他の客から、アテネ空港でない最寄の空港に入って、そこから陸路でアテネに入ってはどうか、との質問も出されたが、浅井は、アテネ空港が閉鎖になっているのだから、アテネは陸の孤島になっているといい、陸路の可能性はない趣旨の説明をした。そこで、控訴人はじめ本件ツアー客は、とりあえずローマに入りアテネ行を待つことで、ローマ行を承知した。

(4) 本件ツアー客は、同日午後、タイ国際航空差し廻しのバスで市内観光、ショッピング等をして夕方まで時を過ごし、観光終了後は同じホテルに戻り休息、食事をとるなどして、空港へ出発した二〇時か二〇時三〇分ころまでホテルで待機した。浅井は、同日朝の柏原からの指示でもあったので、同日一八時か一九時ころ、旅行代理業社である欧州エキスプレスのローマ支店に電話連絡をとり、先方に、アテネカットでローマ滞在追加で行くのでよろしくと依頼した。

(5) 本件ツアー客は同夜二一時に空港へ着いたが、まだ釈然としないでいた控訴人は、日本航空の事務所に立ち寄り、日本語ではっきりとアテネ空港のストライキに関する正しい情報を確かめ若干の質問をした。ところが、同事務所の職員の応答したところによれば、アテネのオリンピック航空がストをしていることは事実であること、しかし右ストは二日間だけのものであるから明日には解除になること、これは最初からわかっていたこと、同事務所では右ストのことは二八日の夕方には分かったことが判明した。なお、この時点では、浅井はじめ控訴人その他の本件ツアー客は、アテネ空港がストであることは分かっていたものの同空港でのタイ国際航空のハンドリング業務をしているオリンピック航空の職員のストが原因したストでしかないことは分かっていなかった。浅井から報告を受けた被控訴人の側でも、その区別が判然としていない状態であった。

(6) タイ国際航空が通常の定期便でアテネへ運航するのは毎日のことではなく、週二回程度であり、月曜発の九三〇便の次には金曜日でないと次のアテネ行便はなく(〈書証番号略〉)、翌二九日の火曜日の夜にアテネ行便が出るという話は、タイの日本航空の事務所ではなにかの間違いでしょうと答えるほどで、タイ市内の航空会社や旅行業者も予想していなかった。

一方、前掲柏原証言によっても、柏原は日本時間で二九日の午前一時ころ(タイ現地時間の二八日午後二三時ころ)、浅井から前日の電話連絡を受けた際に聞いた情報は、アテネ空港がストでアテネに飛ぶ航空機がないので予定どおりにはアテネへ行けなくなったこと、ストはいつ解除になるか分からないこと、タイ国際航空が本件ツアー客の宿泊のためのホテルを用意したこと、二九日以降にタイ国際航空の臨時便が飛ぶかもしれないと知らされたこと、そこで同人は、当日飛ぶ航空機がないのなら、今夜はタイに泊り、翌日にタイ市の旅行会社で、被控訴人が現地オペレータとして依頼しているJTAにアテネのストの確実な情報収集とアテネへ飛ぶ航空機を探すことを依頼せよと指示した。しかし、当夜、日本で柏原自らは、深夜でもあり、これらの点について日本のタイ国際航空事務所や現地アテネの航空会社、旅行代理店等に確認することはしなかった。結局、事の処理は翌朝浅井がタイのJTAに連絡して開始された。JTAのタイ事務所は、浅井に次の目的地であるローマ行を勧め、浅井も、一応アテネに近いローマに入っておくのが良いと考え、柏原の指示を仰いだうえ、一応、臨時便がでたときは交換可能条件で二〇名分タイ国際航空の九四〇便の航空券を押さえ、その後日本の被控訴人からタイ航空代理店に正式に再予約手続がされた。

結局、二九日夜までにはアテネ行きの臨時便は出ず、浅井は右柏原の指示どおり、二九日夜発のタイ国際航空九四〇便に本件旅客全員を乗せてローマへ向った。

(7) もっとも、本件ツアー客のうちには、当初契約の旅程どおり、ローマより先にギリシャへ行きたい(エーゲ海クルーズがビッグエベントであったし、それだけに旅客の期待は大きかった。)、近くの他の空港まで航空機で行き陸路でも行けるのではとの意見も出たが、浅井は、アテネに近いローマに一応行き、ローマからアテネ行き航空機を待つと説明したので、当初反対の者も、同意し、本件ツアー客全員がタイ国際航空九四〇便に乗りローマへ発ったのであった。

(三)  (ローマ以後の旅程)

(1) 本件ツアー客は、三月三〇日早朝にローマに到着し、市内観光に出るまでの間ホテルで待機した。ところが、その間浅井は、肝腎のアテネ行の方法を探そうとする様子はなかった。そこで、本件ツアーの旅客から浅井に話が違うと詰問された。その際、旅客の一人(石田)から、アテネ空港のストライキは当初から二日間に限られており三〇日には解除されることを調べて知っていると指摘され、控訴人はじめ他の本件ツアー客からも強く詰問された結果、浅井は当初からストライキは二日間で解除されることを知っていたと告白した。当日、浅井は、このような旅客の強いアテネ行の要望でもあったので、運賃の追加の点も話したが、料金追加を支払ってでも行きたいとの要望が強かった。浅井は、ローマの観光案内を手配している旅行代理店欧州エキスプレスに本件ツアー客がアテネへ行ける方法を探すように依頼したところ、同日の観光中、欧州エキスプレスの社員から同社ではアテネに行ける方法を探すべく努力を尽くしたが、アテネへ行くことは困難であるとの説明を受けた。このような経緯により、二八日夕方以来、神経をいらだたせていた旅客の浅井に対する怒りが爆発し、一部の客は浅井をひどくなじり、険悪な状態になって浅井が泣き出すといった一幕もあった。結局、その時点で、控訴人を含む本件ツアー客全員は、こうなった以上は仕方がないとしてアテネ行を断念し、追加変更された本件ツアーの旅程に乗ることで不承不承ながら事態を了解して先へ移動することとなった。

(2) このような次第で、本件ツアーは、アテネカットのローマ経由と変更され、ローマ滞在が予定の四月一日のほか早朝から三月三〇日(一泊)が追加され、同日のローマ観光と翌三月三一日のナポリ観光にカプリ、ソレント観光が追加され(同日ナポリ観光、ナポリ一泊)、四月一日もローマ滞在で自由行動日(一泊)と変更されたが、その間の観光と観光日の昼食は被控訴人において負担した。そして四月二日のマドリッド以降は当初予定の旅程に戻り、これらを消化し帰国した。

3  (本件海外旅行契約上の主催者としての被控訴人の債務とその履行の有無)

(一)  本件海外旅行契約は、旅行業者である被控訴人が主催者となって旅行参加者控訴人との間に締結された、いわゆる主催者旅行契約であって、旅行業者が、あらかじめ、旅行の目的地及び日程、旅行者が提供を受けることができる運送または宿泊のサービスの内容並びに旅行者に支払うべき旅行代金の額を定めた旅行に関する計画を作成し、これに参加する旅行者を広告その他の方法で募集して実施する旅行に関する契約であることは前示のとおりであるが、右契約においては、前示のとおり、契約条項に特段の定めのない限り、本件約款の定めが適用され契約の内容とされるものとされているところ、前掲〈書証番号略〉(本件約款)によれば、本件約款には、概略次の内容の条項の定めがあることが認められる。

(1) (第三条・旅行契約の目的) 被控訴人は、その主催旅行契約において、旅行者のために代理して契約を締結し、契約の成立について媒介し、または、取次をするなどにより、旅行者が被控訴人の定める旅行日程に従って運送・宿泊機関等の提供する宿泊その他の旅行に関するサービス(以下「旅行サービス」という。)の提供を受けることができるように、手配することを引き受けること。

(2) (旅行契約の変更) 被控訴人は、天災地変、戦乱、運送機関等における争議行為、外国の官公署の命令その他の被控訴人の管理できない事由が生じた場合において、旅行の安全かつ円滑な実施を図るためやむを得ないときは、旅行者にあらかじめ理由を説明して、旅行日程を変更することがあること。ただし、緊急の場合において、やむを得ないときは、変更後に理由を説明すること(一一条)。

(3) (第一八条・旅程管理) 旅行主催者の旅程管理義務として、被控訴人は、参加旅行者が旅行中に旅行サービスを受けることができない虞れがあると認められるときは、主催旅行契約に従った旅行サービスの提供を確実に受けられるために必要な措置を講ずるものとすること(一号)。被控訴人が一号の措置を講じたにもかかわらず、または、第一一条に定める事由その他何らかの事由により、主催旅行契約の内容を変更せざるを得ない場合において、旅行の日程を変更するときは、変更後の旅行日程が当初の旅行日程の趣旨にかなうものとなるように務めること、また、旅行サービスの内容を変更するときは、変更後の旅行サービスが当初の旅行サービスと同様のものとなるように務めることなど、主催旅行契約の内容の変更を最小限度にとどめるように努力すること(二号)。

(4) (被控訴人の責任) 被控訴人は、主催旅行契約の履行に当たって被控訴人または被控訴人が第四条の規定に基づいて手配を代行させる者が故意または過失により旅行者に損害を与えたときは、原則としてその損害を賠償する責任を負うこと(第二一条一項)。

(5) (免責) ただし、旅行者が①天災地変、戦乱またはこれらのために生ずる、旅行日程の変更若しくは旅行の中止の場合とか、②運送・宿泊機関の事故若しくは火災またはこれらのために生ずる旅行日程の変更若しくは旅行の中止の場合、③運送機関の遅延、運送機関の不通またはこれらによって生ずる旅行日程の変更若しくは目的地滞在時間の短縮の場合その他、被控訴人または被控訴人の手配代行者の管理外の事由により損害を被ったときは、被控訴人は一項の責任を負わないこと、ただし、被控訴人または被控訴人の手配代行者の故意または過失が証明されたときに限り右責任を負うこと(第二一条二項)。

(6) (旅行内容変更に伴う旅行代金額の変更) 第一一条の規定に基づき主催旅行契約の内容を変更したことによって旅行の実施に要する費用が増加または減少するときは、当該契約内容の変更の際に、その範囲内において旅行代金の額を変更することがあること(第一二条四項)。

(二)  このように、本件海外旅行契約においては、旅行主催者たる被控訴人は、本件ツアー参加者たる控訴人に対して、被控訴人の管理外の事由により旅行者が被った損害については原則として責任を負わず、例外的に被控訴人の故意、過失が証明された場合に責任を負うと約定されている(本件約款中前掲二一条による免責特約の定めについては、当事者間に争いがない。)ところ、本件ツアー参加客の一人である控訴人は、旅程と旅行内容の変更によって予定されたアテネ(二泊、アテネ観光とエーゲ海クルーズ)に行けなかったのは、本件約款二一条所定の免責を受ける要件とされる被控訴人の管理外の事由ではなく、被控訴人の債務の不履行によって生じたのであるから、被控訴人は、これにより控訴人に被らせた損害の賠償責任があるものと主張し、これに対し、被控訴人は、アテネに行けなかったのは、アテネ空港ないし航空機関に関するストライキといった不可抗力事由によって生じたものか若しくは本件約款の前掲第二一条に定める被控訴人の管理外の事由によって生じたものであるから、控訴人が被控訴人の故意または過失によって発生させたことを立証しない限り、被控訴人は控訴人に対して損害賠償責任を負わないと主張する。

そこで、当裁判所は、あらためて、前示の事実関係のもとで、被控訴人の右責任の有無につき、検討を加えることとする。

(1) まず、被控訴人は、本件ツアー客がアテネへ入れなかったことは、不可抗力によると主張する。しかし、本件ストライキは、アテネ空港が閉鎖になるような同空港全体のストライキで全航空機が発着できなくなったような態様のものではなく、アテネ空港に乗り入れている航空機のハンドリングの業務を一部航空会社から委託されているオリンピック航空会社の空港業務職員のストライキであり、また、その期間もアテネ現地時間で三月二九日零時から二日間に限られたものであって、アテネ空港へ航空機を乗り入れている航空会社のうち、自社でハンドリング業務を行っている二七社は二九日及び三〇日も、運休することなくアテネ空港に発着することはできたのであるから、このような場合にハンドリングをオリンピック航空に委託しているタイ国際航空の航空機その他同じく業務委託をしている航空会社の航空機に搭乗してはアテネに入れなかったとしても(事実、TG九三〇便はアテネ経由をやめ、九三一便としてダーラン経由(給油寄港)でパリへ運航となった)、その他の航空会社の航空機に乗り換えるなどの方法で、本件ツアー客にアテネ旅行をさせる余地が全くなかったとはいえないから、これをもって不可抗力とまではいえない。

(2) 次に、被控訴人は、本件のストによりアテネに入れず、旅程中アテネ二泊(アテネ観光とエーゲ海クルーズを含む。)をカットした旅行内容、旅程に変更せざるを得なかったのは、本件約款二一条にいう。被控訴人の「管理外の事由」によって生じたものとして、本件ツアー客である控訴人の側から本件旅行主催者である被控訴人の故意または過失の存在の立証がなされない限り、控訴人に対して損害の賠償責任を負わないし、その旅行内容変更もやむなきことであった旨主張する。

ところで、本件旅行契約の趣旨並びにその内容とされている本件約款上定める趣旨を併せ考えると、本件旅行の主催者たる被控訴人は本件ツアー参加者たる控訴人をして旅行内容に沿う安全かつ円滑なる旅行サービスを受けられるよう万全の措置を講ずるといった善良なる管理者の旅程配慮義務があるというべきであり、また、運送機関の支障等により旅程その他旅行内容の変更をする場合があっても、その変更は必要最小限度のものに止め、もって、できるだけ旅客に旅行の目的を達成させるように配慮するべき義務があることはいうまでもない。また、その変更せざるを得ない場合でも、原則として事前に、例外として緊急の場合は事後に、旅客の了承を得る必要があり、旅客の了承の前提として事情説明を尽くすべき義務もあるといわなければならない。そうすると、本件オリンピック航空の空港職員のストライキは、空港閉鎖といった完全ストでなく、現に、三月二九、三〇の両日のスト期間中にもアテネ空港へ就航していた航空機を保有する航空会社は二七社もあったことは前示のとおりであって、もとより、網羅された世界の空路の一点に一時期に限定された期間としてもストが発生すれば、その混乱の影響を受ける範囲は拡大されるであろうこと、そのような状況に置かれた場合、旅行主催者がどのようにして本件約款上のツアー団体客に対する旅程管理配慮義務を尽くし得るか、といえば、かなり局限された範囲内でしか義務を尽くせないであろうということになろうが、そうだからといって、本件のような部分的なストの場合は、これにより直ちに本件約款二一条にいう「管理外の事由」が発生したとまではいえない。

(3)  なるほど、一般に航空機に関連する空港内で航空機の手荷物積み降ろし業務にあたっている職員がストライキに入っても、航空機は当該空港に寄港できるとしても、実際上、手荷物が出ないため、旅客は降りることも搭乗することも困難であり、結局、委託している航空会社は自社の航空機をアテネ空港に寄港させず他の空港経由と変更するか、途中寄港した空港でストップさせることになる。事実、本件ストの場合、各航空会社のバンコク経由アテネ行航空機の同空港への寄港状況は、①日本航空のバンコク経由アテネ行四七一便は、三月二八日カラチで運航を打ち切り、②オランダ航空のバンコク経由アテネ行八六二便は、アテネをスキップしてアムステルダムに直行し、同便の旅客中アテネ行の一三名は、三月三一日アムステルダム発のオランダ航空八三便でアテネへ向っており、③その他前掲スイス航空バンコク発一九九便は、アテネをスキップして(ダーランで給油)してチューリッヒへ運航し、同便の旅客中アテネ行の者は二九日チューリッヒ発スイス航空三〇二便でアテネへ向ったといった状況であった(〈書証番号略〉)、結局、自社でハンドリング業務をしていない航空会社は二九日午前零時以降スト継続の二日間は一機も寄港していないことが認められる。そうすると、タイ国際航空九三〇便としてアテネ経由でパリ行予定のタイ国際航空の航空機は経路変更となり、同時刻に九三一便として(給油のためのみダーラン空港に寄港)して最終目的地のパリへ飛ぶことに変更されたのは、ストの状況に鑑みれば、タイ国際航空としても前記他社の航空機と同様に、その際、やむを得ない判断に基づく経路変更(アテネをスキップ)の措置であった。

(4)  控訴人は、アテネに入れないのなら、客席二〇名分は確保されていた、当初搭乗予定のパリ行のタイ国際航空の航空機(九三一便に変更)でパリへ直行し、そこからアテネに入れる航空機を待つか、先にパリ観光をして旅程順次変えていき、ストが解除になり次第、直ちにアテネに入っても良かったはずともいう。たしかに、そのような手段も考えられなくはない。しかし、本件ツアーの旅程をみると、パリは、ヨーロッパにおける最終旅行目的地として予定されており、パリを最初とするように旅程の順序を変えた場合、かなり大幅な旅行内容の変更を余儀なくされ、その間の宿泊、観光に関する手配の変更による手数料等のかかることはもとより、全行程における宿泊場所の用意、観光の手配、運送機関の確保が実現できるのか不確かでリスクが大きい。よしんば、最後の予定地パリと最初の予定地アテネだけの順序を逆にすれば済むことになったとしても、パリからアテネまではヨーロッパ内でもかなり距離が隔たっており、その距離はローマとアテネ間の数倍はある。しかも、いったんヨーロッパの一都市であるパリに入ってしまえば、そこからアテネまでの航空運賃は、他のヨーロッパの航空会社の航空機を使用することになろうから、通常、かなりの航空運賃の追加負担が必要とならざるを得ないものと推察される。しかも、その際にはバンコクにおけるような、タイ国際航空によるホテルサービス等が用意されはしないであろうから、パリで予約なしに同じホテルに二〇名分の居室を確保できるものか大いに疑わしく、単に空港で搭乗できる航空機が出るのを待機するのみといった時間が増え、外国での限られた旅行日数と費用の浪費となることも予測され、そのような事態を迎えることは、本件ツアーの安全かつ円滑な実施のためにならず、賢明な旅行主催者は、そのようなリスクを軽視しないであろうと察せられ、結局、二〇名の団体旅客全員の旅行中の安全性の確保の観点からすると、この方法を選ぶことには躊躇せざるを得ない面があろう。もし、本件ツアー客が本件旅行目的地のうちのアテネ以外の都市でアテネに近い空港のある都市まで他の航空機で行き、そこでアテネに入る航空機を待つとすれば、パリよりむしろローマが適しているであろうことは、ローマがアテネとの間の距離が極めて近いこととアテネの次の旅行目的地とされている本件ツアーの旅程の大幅な変更を避けうることからすると、万全の状況把握と十分な事実認識のもとに考慮されたうえでの決定かどうか、またその事由を旅客に説明を適時に尽くしたかどうかをさておけば、当時の状況の中では、結果としては、あながち悪い方法ではなかったともいえる。

(5)  次に、控訴人が可能性のあった方法と指摘する、スイス航空の乗り継ぎで翌日アテネに入れたかどうかである。たしかに、控訴人主張のスイス航空の航空機で二八日夜タイを発ち翌朝七時にチューリッヒに到着し、同所で同航空会社の正午ころのアテネ行便に乗り継げば、二九日の午後四時前にはアテネ空港に入れた可能性があったのではないかとの、控訴人ら本件ツアー客の疑問は、前示のバンコク空港における事実関係のもとでは、正確なストの情報がより早い時期に把握されていたならば、かなり実現可能性があったもののようにもうかがわれる。そこで、さらに進んで、その実現性の度合を考えてみる。

(ア) ところで、控訴人は、タイ空港において、浅井が本件ストの情報を収集できたのは、二八日二三時一五分であるといい、これに沿う浅井並びに柏原各証言並びに〈書証番号略〉がある。もし、そうであれば、二二時二五分タイ発のスイス航空一九九便は、既に出発していた時刻となるが、空港内の運航航空機に関する放送が流れてからの前示のタイ空港内のスイス航空のカウンターへの多数の人の参集とそれらの人の承知していた事柄、チケット交換状況からして、スト情報はタイ空港ではもっと早い時刻から伝わっていたはずと考えられ、また、なにより、本件ツアー客が当初乗り継ぎを予定していたタイ国際航空九三〇便の離陸時間が二三時三〇分であるから、本来なら本件ツアー客も同便に搭乗しているべき時間であるが、本件ツアー客まだ搭乗していない段階で、すでにストの情報が構内に流されたことは前示の事情に照らして明らかであって、この点の浅井証言並びに柏原証言は信用できない。もっとも、オリンピック航空が全世界に一斉に英文のテレックスでストの情報を正式に送ったのは、二三時一五分であったことは控訴人の主張のとおりであるとしても、現地アテネ行の航空機を定時に飛ばさなければならない空港や航空機の所属航空会社では、もっとも早く確実な情報を把握して、当該航空機の運航の可否を決め、代替便や経由地変更便等を適切に処理を行う必要があるのであって、刻々とアテネから直接入手した情報によりなお若干早期に事実を正確に把握できたはずであること、また、ストの情報はかなり前から現地アテネのマスコミが取り上げ連日記事となっていたことでもあり、タイの日本航空の事務所では二八日の夕刻に適切な情報を把握していたことなど、前示の事情に照らせば、遅くとも、アテネ行九三〇便の掲示がボードから消えた、同便の予定出発時刻より二時間ほど前には、航空機の運航に関してなんらかの異変が起きたことが判明したはずであり、浅井が空港内に待機して注意深く空港内の航空機の状況を見守っていれば、また、同人がボード掲示の異変に気がつかなかったとしても、これに気がついた旅客(阿部夫婦)が浅井を探したというのであるから、同人が見付けられる空港内の場所にさえ待機していれば、ストの情報を二時間早く確認できたかもしれない。しかし、それ以上早期に確認できたかといえば、浅井は二八日の一七時ころタイ空港に到着した後そう遅くない時間にTG九三〇便のボーディングパスを受け取っている事実に照らせば、同日一七、八時といった夕刻時には、まだタイ空港内にははっきりしたスト情報が判明していなかったものと推察される。したがって、浅井が同空港内に待機していて、より早期にスト情報を収集できたとしても、せいぜいTG九三〇便の予定出発時刻より二時間位前の二一時三〇分ころでしかないと認められ、なお、それ以上に早い時刻であると認めるに足る証拠はない。

(イ)  そこで、仮に、浅井が現実にスト情報を収集した時刻が二時間前で、かつ、正確なスト情報を収集できていた場合であったとして、実際に浅井が本件ツアー客全員をスイス航空一九九便及び三〇二便にいずれも二〇席を確保して搭乗させることができたかは、当時のタイ空港内さらにはヨーロッパの各空港では、スト情報の中で、アテネへ運航する航空会社の航空券の注文が殺到したであろうことは察するに難くなく、自社発行の航空券の客より他社発行の航空券によるエンドース手続により乗り換える客の方が後回しにされることもあろうから、空席があっても瞬時のうちに満席となり、他社からの乗り換え客で二〇名分が確保できる可能性はかなり薄いものと察せられる。本件全証拠によっても、三月二八日午後二一時三〇分ころであれば、タイ空港においてスイス航空一九九便及び三〇二便に、いずれも二〇席の空席があり、両便に二〇名分の座席を確保できたと認めるに十分でない。

(ウ) 控訴人は、浅井の聞き方、交渉の仕方に難があったと非難する。確かに、当夜の浅井に少なからず混乱があったであろうことは察せられなくはないとしても、聞くべき事項は至極単純なことで、要するに、TG九三〇便がアテネに運航しないと決まった後に、団体客二〇名全員がアテネへ行ける方法(経路変更、他社航空機乗換等手段を問わず)はないかとの趣旨の浅井の質問と、これに対するタイ国際航空の事務所からの否定する趣旨の回答を受けたことはおそらく間違いない事実であろう(浅井の証言)。もっとも、その理由や具体的な折衝の状況は定かではないが、少なくとも浅井が、タイ国際航空がエンドースを承諾して、追加運送料金の問題なしにスイス航空一九九便と三〇二便を乗り継ぐ手段をとってアテネへ行ってよいとの回答をしたのに、あえて、右両便に乗り換える方法を採らなかったなどとは、当夜の状況からして到底推認できない。むしろ、二八日当夜のタイ滞在は本件ツアー客の航空券の発行会社たるタイ国際航空の意向によったものであろうことは、タイ国際航空が二八日の夜の宿泊ホテルの提供、タイ滞在中の食券並びに二九日の市内観光のバスサービスの負担をしていること、二九日夜出発の同社のTG九四〇便ローマ行に振り替え搭乗させる等の便宜を図っていることからしても、容易に察せられるのである。そして、これは、当初の航空券発行会社の航空機から他社の航空会社の航空機に乗り換える場合の必須要件とされる事項(当初の航空券発行会社の承諾)である。

もっとも、控訴人にしては、浅井がもっと賢明に十分な考慮のもとに上手に粘り強く具体的案を提示するなどして交渉に努めれば、スイス航空一九九便及び三〇二便に乗れたのではないかとの疑問が払拭できないかもしれない。しかし、スイス航空のアテネ行の座席状況は、オフシーズンであって多少の空席があったとしても、世界中からスト情報の噂が流れるとともに早い者勝ちでアテネ空港に入れる航空会社の航空便に予約が殺到しているであろうから、瞬時のことで満席になる可能性が強いこと、特にスイス航空一九九便がアテネ行でもアテネ経由でもなく、最終目的地がチューリッヒであったこと(この事実は浅井は聞いて知っていたが、控訴人を含む本件ツアー客は空港内の乗客等から聞き及んだところにより同便が直接アテネに寄港するものと誤解していた。)、その他前示の諸事情を併せみれば、仮に、タイ空港内においてストが判明した時点で、浅井が直ちに上手に折衝したとしても、その成功を予測しかねるのであり、むしろ、差額料金もなしに成功する率は極めて低いものと考えざるを得ない。

さらに、控訴人は、スイス航空機にエンドースできなかったのは、当初タイ国際航空が発行、販売した本件ツアー客の航空券がディスカウントチケットであったからエンドースできなかったのではないか、との疑問をも提示する。しかし、この点については、前掲証人柏原の証言及び〈書証番号略〉によれば、むしろ、右チケットは、通常団体航空料金により売買され、表面にエンドース禁止文言の記載のないチケットであったことが認められるのであって、これを覆すに足る証拠はない。

以上によれば、本件ツアー客全員がスイス航空一九九便及び三〇二便にエンドースして、アテネへ入ることは、前示エンドースの要件、その他当時の諸状況からして、これを肯認することはできないのである。

(6) このように、以上にみた本件事実関係のもとでは、場所的、時間的には部分的ストであっても、旅行途上のタイに二〇名の本件ツアー客と共にいる浅井並びに日本の大阪に事務所の所在する被控訴人(責任者柏原)のなしうべきとみられる旅程の管理、配慮等に関する前記義務の範囲はかなり狭いものとならざるを得ない。もっとも、浅井は、本件海外旅行の主催者・被控訴人が付けた添乗員として、本件ツアー客がタイ空港内で乗り換え航空機待ち時間に、旅客が見付けることができる範囲の場所から離れていたため、スト情報収集の時間が若干遅れたこと、ストの時間的、場所的範囲につき、正確な内容の情報を収集できなかったこと、さらには、浅井には分かっていた情報(ストの期限の点)及び知識(いったんタイからTG九四〇便のチケットでローマに入った後、ローマからアテネに入る場合の航空運賃の追加払の点)を適時に報告、説明しなかったことは不手際であり、浅井に至らない面があったことは否めない。また、日本の被控訴人は日本での情報収集を尽くさず、浅井に現地のJTAに依頼せよとの指示をだし、以後は浅井の連絡してくる情報に基づく判断をもとに旅程の管理をさせていた。さらに、旅程及び旅行内容を変更するにあたり、旅客のパニックをおそれてか、事前に正確な事態の説明を尽くさなかったか、事後にせよ説明が遅れ気味となったきらいもある。

しかし、ひるがえって、控訴人が主張する同人を含む本件ツアー客がアテネに行けなかったのは、被控訴人の右の不手際によって生じたものであるかどうかを考えてみるに、前示2の事実関係のもとで、前記3の(二)の(4)、(5)において逐次考えられる方法を検討したように、たとえ被控訴人において情報を適確につかんだとしても、可能な経路を見つけてアテネへ入り当初予定されていたアテネ観光とエーゲ海クルーズを実施できた可能性は極めて希薄である。仮にも控訴人の主張する方法を敢行し途中まで行けたとしても途中で頓挫し滞留するリスクも大きいであろうと推察される。

これを要するに、以上にみた事実関係のもとでは、被控訴人には至らぬ面、不手際があったものの、これにより控訴人を含む本件ツアー客がアテネへ行けなかったとの結果が生じたとはいえず、その間に相当因果関係があると認めることができないのである。

もとより、控訴人は、本件の場合のように海外旅行の途中で不慣れな場所でのトラブル発生の際に往々ある情報不足による不安感、焦燥感を抱いたであろうと、その心情は同情に値する。しかし、前示本件スト判明の経緯、本件ツアー客のおかれた状況あるいは代替航空機利用の可能性の度合の不透明さといった本件ツアー客にとって不運な出来事が生じた中で、個人のイライラした焦燥感、不安感、期待感の減少等をもって控訴人に損害の賠償を請求するだけの精神的損害が生じているということができるかを考えると、前示のように、控訴人も、他の本件ツアー客同様に、アテネ旅行をカットしてローマ滞在を追加した旅程及び旅行内容を変更することにつき事後的ながら説明を受けたうえで、渋々ながらもこれに応じて最後まで本件ツアーに参加したこと、さらには、右旅程及び旅行内容の変更に伴う増減料金の清算は、本件約款第一二条四項の適用ないし類推適用等により行われるはずであろうこと(なお、本件海外旅行終了後、被控訴人が日本旅行業協会を通して、本件旅行内容の変更につき、控訴人に対して四万円の支払案を提示したが、控訴人により拒否されたことは、前掲証人柏原の証言によって明らかである。)、その他諸般の事情を勘案するかぎり、なお、そのような控訴人が抱いたその種の感情をもって精神的損害賠償の対象となるとまではいえない。

4  (結論)

以上によれば、控訴人の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないことに帰するものといわざるを得ない。

二よって、控訴人の本訴請求を理由がないものとして棄却した原判決は、結論において正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官伊藤瑩子 裁判官福島節男)

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